続々と感想が寄せられています!

このお肉を食べたい。できれば、主人公一家の食卓にまぎれこみ、一緒に頬張りたい。

この映画は僕にあらためて、ひとがひととして生きていくための食することの幸福、そして、その喜びを与えてくれる厳しくも神々しい命のリレーの尊さを教えてくれた。

北出さん一家に寄り添うカメラの距離と存在が良い。そして、なんの衒いもなく淡々と日々を重ねるこの家族こそが、わたしたちの原像たりえる、と確信した。  崔洋一(映画監督)

この映画は被差別部落の人々とその生業を正面から扱っているわけだが、不思議なほどに透明で、この種の映画に特有の社会的なメッセージ性がほとんどない。それはたぶん監督が、獣を育てて、殺して、食べるという散文的な作業を淡々と続けている北出精肉店の人々のはるか背後に、数千年という射程をもち、世界のあらゆる集団に拡がる「人類の営み」を感知したからではないか。 内田樹(思想家、武道家)

昔ながらの手作業の屠畜は、我々食肉業界の者たちにとっても貴重な、後世に残さなくてはならない映像です。  高岡博也(浅草今半 取締役)

映画は冒頭ショッキングなシーンからはじまる。牛の屠畜がこのようにして開始されることを知らなかった人は多いはずだ。ここから目を背けてはいけない。纐纈あや監督は、そう考えてこの映画を作ったに違いない。北出家の人々が、私たちに成り代わってこの作業を行ってくれているからこそ、私たちは、おいしいステーキやすき焼きやビフカツやハンバーグを食べることができる。生きて行くために私たちは必ず他の生命を殺(あや)め、そこに宿っていたエネルギーを横取りしなければならない。

私は生きることは動的平衡である、と捉えている。絶え間のない交換と鼓動と流れ。それが生命である。ある命は別の命の中に散らばって広がっていく。私の短い命はその動きのなかのあやういバランスにすぎない。しかしそれはすべての命とつながっている。この映画の中にはまぎれもなく動的平衡がある。   福岡伸一(生物学者)

『カムイ伝講義』という本を書いた関係で、江戸時代の皮を扱う人々について研究した。死牛馬の引き取りから皮剥、解体、皮革生産までは難しい工程がいくつもあり、「彼らはまず何よりも、職人である」と思った。にもかかわらずなぜ差別のことだけが取り上げられ、その見事な職能の伝承や、職人としての誇りが語られないのだろう、と不思議に思い、ずっとそのことがひっかかっていた。であるから『ある精肉店のはなし』で、私はようやく溜飲が下がったのである。そこには、まぎれもなく職人がいた。
この映画をきっかけに、職人としての側面がもっと語られるようになって欲しい。その職人を主人公にした小説や映画やドラマができ、差別が過去のこととして語られるようになるまで。

 田中優子(法政大学教授)

登場人物が役者でないのに役者である。解体される牛までが“役者”だと言いたいほどだ。撮る者と撮られる者の信頼感が画面からにじみ出てくる。見終わった後にまた見たくなる。何度見ても新鮮である。  佐高信(評論家)

今年の1月僕のフォークシンボル、ピート・シーガ‐さんが94歳で逝きました。

“大統領が誤ったとき草の根の人々が正しい道にもどす。それがアメリカの正義だ。フォークシンガーは草の根の知性を持ちなさい。”

映画を見ながら“草の根の知性(インテリジェンス)”なんて自分のフォークのテーマを想い出していました。ボブ・デュランの若い頃の語り歌を聞くような良質の作品(ストーリーテーリング)に出会えたと喜んでいます。  高石ともや(フォークシンガー)

太陽と水で草が育つ。その草を牛が食べる。その牛の肉を私たちは食べる。分業化されると分断される。繋がっていることを忘れる。命を食べて命をつないでいる。それを分からせてくれるのがこの精肉店ファミリーだ。皆、体を張って危険と隣り合わせで仕事をしている。これが労働だ。働くということだ。

口先だけで食べている自分が恥ずかしくなった。口先だけでないこのファミリーは底抜けに明るい。特に女性が明るい、強い。そういえばこの映画の監督も、カメラも女性だ。私はこの映画の女性たちに元気を貰った。そして尊敬する。そして差別なんて本当に恥ずかしいことだと思う。

映画の最後の最後に精肉店のシャッターを開けた奥さんが朝日に向かって深呼吸をする。江戸時代から7代続いた過去だけでなく、ずっと続くであろう明るい未来を感じて心も体も温かくなりました。

 松元ヒロ(スタンダップコメディアン)

この映画の北出家には、社会学者の内山節氏のいうところの人間にとっての本質的な労働「仕事」があると思いました。単に現金収入を得る「稼ぎ」ではなく、生活と深く関わっている「仕事」です。一家のパワーには圧倒されまし。(女性)

これほど質実に富んだ内容に触れさせていただける経験は少なく、スクリーンを境に向こう側に3Dの世界が切実さをもって迫ってくるようでした。哀しみと希望が交差し、舞踊る人権尊重の社会の光と陰を垣間みたような刺激を受けました。(男性)

最初にと畜されたシーンではとてもショックを受けました。牛の立場からみていたように思います。最後の牛のと畜シーンでは、北出さんの立場からみていた自分に不思議な気持ちになりました。(女性)

私はハンバーグ店でバイトをしています。そこでも肉を扱う仕事で、ミスをしたらその肉を何のためらいもなく捨ててしまいます。捨てる行為にも抵抗があるけど、肉・生きていた命を捨てていたんだと思うと心が苦しいです。(女性・高校2年)

強烈に命、特に「生」の大切さを感じ、背筋が伸びる気持ちです。がんばって生きなきゃ!(女性・30代)

私は屠畜に対して差別的な印象を持っているつもりはまったくありませんでしたが、心のどこかで他人事だと思い、見ないように考えないようにしていました。いつもおいしいと言って食べている物が、どうやってできているのか知ろうとせず他人事と目をそらすことは、屠畜を残酷だと罵る人とたいして変わらない。いただく命にも、それを解体する人たちにも失礼なことなのだと思いました。          (女性・20代・大学生)

屠場、屠畜を扱った映画で、はじめて心底から笑えるという作品でした。日常・仕事としての屠畜の作業を知っていくことが、差別、偏見をなくしていく最良の道であることも実感できました。

(男性・20代・大学院生)

人間は、地球上の生物の中で、かくも業の深いものであるのかとあらためて認識すると同時に、その業を陰でずっと引き受けてきた方々がいたのだという事実にはじめて触れ胸がつまった。世の中、きれいなもの、かわいいもの、気分のいいもので溢れているが、そうでない映像をつなげることで、これほどの人間賛歌に仕上げた作品は過去に例を見ない。今まで千本を超す映画を観てきたけれど、どれにもましてオリジナリティあふれる素敵な命の賛歌であった。  (男性・ライター)

難しい題材の映画の制作、勇気がいることだったと思います。今でもある結婚差別や就職の話、言われなき差別をはね返すりりしさが、北出家の人々に感じとれました。血の一滴も無駄にしないドイツのマイスター(ソーセージ、ハム作り)に対する評価と日本での評価のなんと異なることか。支配者の人心掌握のための政策でしかない身分制度の歴史の負の遺産が今も残るのが口惜しいです。差別なんかしている場合ではない日本の現在なのに!!と。(女性・横浜市在住)

家族、街、働くということについて、とても大切な温かいものを教えてもらった気がします。もうしばらく、自分の中であたためて、じっくり熟成させてみます。制作にかかわったすべての方に感謝です。面白かった!  (女性・30代・会社員)

差別にも負けずにそれを乗り越えてきている力の抜けたあの自信、あの爽やかさはなんだろう、と思います。大自然の中に生きているのではないけれど、生き物の命とつながっていることで、自然なのだと思います。 (男性・50代・環境教育家)

ケとハレ、静と動、日常と非日常が交差し、あっという間の108分でした。ドキュメンタリーではなく、ノンフィクションのドラマかと錯覚するような素晴らしい作品になったと思います。

(男性・50代・無職)

友達にこの映画を見ると伝えたら『ベジタリアンになるから止めなさい』と言われました。でもこれからもっと、お肉を食べよう!と思いました。  (女性・釜山国際映画祭にて)

今度は子どもと一緒にみたいです!  (男性・釜山国際映画祭にて)

映画に出てくる “手”が印象的だった。肉や皮を扱う北出さんたちの手が、とても優しかった。

(女性・釜山国際映画祭にて)

淡々とバランス感覚を持って描いている。監督の視線や音楽が過剰な演出にならず、最善を尽くしてそれそのものを映し出そうとしている。  (男性・釜山国際映画祭にて)

牛が住宅街を歩いていく!!屠畜のシーンは目をそむけるかと思ったけど引き込まれてしまった。

(女性・山形国際ドキュメンタリー映画際にて)

だんじりの練習のところが、とても美しくて、きっとこれからも忘れられないと思います。

と畜の仕事はやってみたいのですが、体力と技術(の習得が)ついていけないだろうなと思っていまして、今日この映画をみてやっぱりダメだと確信しました。職人はすごい。(女性・小金井上映会にて)

久しぶりにまっとな人間のまっとな仕事をみて、背筋が伸びた気がしました。(女性・小金井上映会にて)

しみじみ素晴らしい映画でした。実は「食」をテーマの映画と思い見に来ました。もっと深く様々なことを考えさせられました。これからも心に残る映画を作って下さい!(女性・小金井上映会にて)

肉、と畜について勝手に差別している自分がいました。今日、この映画を見て、自分が恥ずかしかった。たくさんの人にこの映画をみてほしい。(女性・小金井上映会にて)

命をいただくことの本当の意味を伝えてもらった。悲しみを知っている人々だから、かもしだすものがあるんだと思った。(男性・小金井上映会にて)